2020年を振り返り、改めて思うこと。

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もう2020年も残すことあと2日となりました。

この辺でこれまでの1年間、自分自身のことを振り返ってみようと思いました。

特別有益な情報などはほとんど無いかもしれませんが、記録として残しておこうかなとここに記します。

2020年を振り返り、改めて思うこと。

https://twitter.com/mahsan_med/status/1342455192621445122

元々このブログを始めたきっかけは、私自身が過去にアフィリエイトに何度も挑戦した経緯があり、結局アフィリエイトに挫折し、違う副業で稼いでいこうと考えていました。

継続して稼げるような副業が出来ていなかったこともあり、基本的には本業の配達という業務生計を立てる日々がメインです。

不動産投資にチャレンジする。

その過程の中で「不動産投資」というものに出会い、気が付いたら「不動産投資」をする為に何とか始めの一棟を手に入れることに躍起になっていたのです。

まずは最初に読んだ本の著者のお勧めの本を全て買い占めて、本を片っ端から読むことにしたのです。

そして、健美家や楽待という収益不動産のポータルサイトなどを知ってセミナーに申し込んだり、本の著者のメルマガに登録して直接飲み会に参加したりと、今考えれば闇雲ではあるが結構行動には移せていたかなと思います。

そして実際にアパートを所有しているオーナーさんの話を聞いて思ったことは、もはや本に書いてあることは古すぎて現代の条件には合わないということでした。

不動産は最初の一棟が手に入らなければ、全て知識だけで終わる。

更には不動産投資は早く始めなければ、本来得られる家賃収入が入ってくることも無く、始めるまでは一切の収益を得ることが出来ないのです。

始めの一棟が手に入らなければ、それまでの注ぎ込んだ努力も水の泡として消えてしまうのです。

むしろセミナーや飲み会への参加、移動にかかる交通費まで考えるとマイナスでしか無いでしょう。

もはや意地でも最初の一棟を手に入れてやろうと、ひたすら物件を探しては現地調査に行ってを繰り返して、最初に不動産投資をやろうと思ってから何だかんだ1年以上も時は経過していたのです。

融資を受ける為の「正社員」という信用ツール。

アパートを何とか手に入れる為に、長年勤めていた郵便局の契約社員から正社員という属性を手に入れる為に転職までもしました。

慣れ親しんだ仕事から転職するのはやはり自分にとって、かなり大きなストレスであったことは間違いありません。

それでもまだ最初の一棟を手に入れられただけマシな方なのかなとも思えます。

アパートを何とか日本政策金融公庫さんから融資を受けて手に入れることは出来ました。

適応障害、そしてうつ病になる。

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その後に現職のトラック運転手としては適応障害を発症してしまい、現在はうつ病になり休職をしています。

社会は理不尽なことばかりですので、サービス残業の暗黙的な強制や、異動による上司ガチャでハズレを引いてパワハラ上司に当たってしまったのが不運ではありました。

もしかすると自分にとっては、背伸びをし過ぎたせいだったのかもしれません。

恐らくこのまま退職の方向性へと進む確率はかなり高いので、今後どうやって生きていこうかとも考えさせられます。

当時、今の妻との結婚をする為にも正社員になることを選びましたが、現実は前職よりも年収もダウンしてしまったので、雇用形態なんて本当に無意味なものだなと痛感させられました。

それでも正社員という地位は社会的信用度が高いわけで、その信用度が無ければ不動産投資を始めることも難しいのかなとも感じさせられました。

実際に年収が下がったものの、私は正社員に転職後に不動産を購入することが出来たことを考えると、やはり雇用形態が銀行評価に大きな影響を与えていることは間違い無いです。

2020年の大家業は黒字で終えることが出来た。

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何とか始めの一棟を手に入れることが出来、大家業としての新たなスタートを7月から切ることが出来ました。

居住者の部屋のキッチンの水漏れや、浄化槽の管理業者の変更などによって、当初の計画よりは出費が嵩んではいますが、黒字で今年は終えることが出来ました。

今現在一部屋が家賃滞納しているのもありますが、保証会社から家賃がしっかりと入ってきている為、とりあえずは無事に済んでいます。

来年はもし退去してしまった場合のことを考えて進めていかなければなりませんが、大家業としてはよくあることですので、ここに本当の大家としての能力が試されるのだろうと思っています。

運送業は人手不足によるブラック環境から抜け出せない。

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本職の方ではトラブルを起こしてしまい、気付いたら会社を休職することになってしまいました。

元々、「働き方改革」がされる前は厚生労働省によるブラック企業として認定されている企業だったので、現在は良くなったんだろうと思って転職したものの、実際は以前よりも酷くなっている職場も幾つか残されていたのです。

それでも業務自体は気合で耐えることが出来たのですが、直属のブラック上司によるパワハラのダメージが蓄積し、結果的に追い詰められてしまった経緯があります。

ブラック労働が平気でまかり通る職場に異動することになってから、このような状況に追い込まれてしまったのです。

現在の休職は自分自身のこれからの道を再度見つめ直す為の時間なのだと、自分自身には言い聞かせていますが、もはやネガティブな思考のループから抜け出せずにいます。

向精神薬も飲まなければいけない生活が始まり、以前のように出来ていたことがまともに出来ない日々も続き、自分自身を責めるような日々を過ごしています。

そんな生活が続けば自然と自己肯定感も無くなってくるものです。。

正直、私の人生は生涯年収に関してはもう大して稼ぐことも出来ないので、もはやサラリーマンとして生きる道はあまり合理的では無いような気もします。

それでも人生を続けていかなければならないことに絶望を感じつつ日々生きています。

結局、今の業界はそれなりの給料が貰えるからサービス残業には誰もが目を瞑るのだろうが、だからこそ若い人達が一向に入社してこないのだろうとも思える。

ベテランの社員は脊髄損傷して足をひきづっていたり、首から下が麻痺した状態で働いていたり、通勤中に血を吐いて倒れたりしたと話を聞くと、長く続けるような仕事では無いとうすうす感じてはいました。

結論:療養に専念して、もう一度前を向いて生きる。

気づけば休職してから3ヶ月が経過していたようです。

時の流れももはやよく分からない状況であっという間ですね。

日々何も生産することが出来ずに毎日を終えるような状況なので、とにかくまずは治癒することに専念しようと思います。

丸々1日自分の自由な時間があるものの、何もすることが出来ないのであれば、もはや地獄であることに変わりない状況なのです。。

そして復職することが出来たとしても、以前のように仕事が出来るのかも怪しいところではあります。

「うつ病」という病気と一生付き合うことになるでしょうが、家族も居るので何とかこの先生き抜いていこうと思います。

向精神薬を飲み続けている者で、薬を断薬できた人を周りで見たことが無い。

正直なところ、明るい未来を想像すること自体が非常に難しい。

それでも人生というものは、生き続けなければならないのでしょう。

支離滅裂な記事になってしまいましたが、今の心境をここに記録として残すことにします。

何より命を断つことだけは避ける必要があるのです。

もはや、ただそれだけで良いのかもしれない。

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